2月 22

Reach Out!
Attribution-NonCommercial-NoDerivs License by ~diP

けっこう勘違いしてる人が多いんです。

自分が望むことを自然と自分に来ないかなぁと思ってる人っているんですが、それは間違い。

人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思っている人が多過ぎるように思える。

あなたは人を好いていますか?敬っていますか?愛していますか?自分がそうされている何倍もそうしていますか?

そうでなければ人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と一方的に思ってもそれは無理な話です。ある意味ギブアンドテイクのようなもんで、一方通行では決して、好かれない。敬われない。愛されない。

けっこう印象に残ってるのが、×××ホリックというCLAMPさんの漫画で「人間は尊いものを敬わないのに、なぜ尊いものが、人間を助けなければならないの?」というセリフ(うろ覚えw)があったと思うんですが、確かにな。と思いました。

都合の良い時にだけ、「神様助けて」と人間は叫ぶけど、普段神様に対して、なにかしたのか?敬っているのか?….まぁ所詮一方通行なんですよ。(ちなみに私は無神論者なんで神様なんか信じていません。そんな都合の良い存在いるわけねぇ)

人間てもうそれこそマズローの欲求段階レベルの話で人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っているけど、自分自身そうしているか?というと意外にそうではなくて。一方通行の場合がすごく多い。

たとえば「敬われたい」と思っている人は人に敬われる程の努力したのだろうか?ノーベル賞とったらみんなから敬われるけど、それには数々の努力と時間をかけた結果の上だ。たしかに世の中不当な評価なモノやコトはたくさんあるのも事実だけどね。

でも逆に言えば人に好かれたい!敬われたい!愛されたい!と思っている人は人を好いて、敬って、愛せばいい。簡単なことでしょう?そういう意識を持つ事が大切かなと思ってこの記事を書いています。

「好かれたい!敬われたい!愛されたい!」をすべて放棄する?実はこれが逆効果で、そうすると尚更その欲求が高まると思います。それこそ一方通行で。敬うことをヤメてはいけない、好くことをヤメてはいけない、愛する事はヤメてはいけない。それをすれば一人の人間としてダメになってしまうでしょう。

愛されたいなら愛しましょう。

以上。

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2月 04

今日のブログの記事のテーマは「オチ」です。

私はね、よく大学の恩師に問われたものです。

「オチは?」と。

ストーリーのあるものというのは必ずと言っていい程起承転結が存在し、その中で一番重要なのはその中の「結」の部分。つまりは「オチ」の部分なんですよね。

映像の制作でも同様で、必ず、オチが必要で、同時に一番重要なのですよ。

ところが、これが難しいわけです。

大学生もけっこう「こういう表現をやってみたい」という漠然としたイメージややりたい事はあるんだけど、結局それだけで、オチは?と言われるとオチは思いつかない…という人が多かったように思えます。プロはその辺が違う。…と思う(一部を除く)

まぁ映画や小説などの創作には必ずフィナーレがあって、「終りよければすべてよし」という言葉がありますが、まさにそれで。逆にいえば途中は多少おかしくても、オチさえしっかりしていればなんとかなるものです。

だから逆に言えば、オチを中心に話を作る。というのも一つの手です。

どんな良い作品でもオチ部分が納得いかないものだともうそれはそれは、見てる方は気持ち悪くて、その作品の評価が下がるのは否めないでしょう。

オチにも幾つかパターンがあるわけですよ、ハッピーエンド、バッドエンド、その後のストーリーを想像させる最後、エンドレス、夢オチ、逆転….等々

まぁ私の個人的な気持ち的にはバッドエンドは嫌いなんですよね。

和月さんの言う「エンターテイメントの基本は笑顔とハッピーエンド」というのを信じてるし、そういう最後が気持ち良いんで。だから途中はどんなに苦しくても、悲しくても、最後に報われるオチなら救済される。

….ん?この記事のオチですか?

….

….

まぁ…

以上。

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11月 12

Knife Outtake
Attribution License by DieselDemon

今日はどうでもいい自分の信念のようなもののお話を。興味の無い方は読まなくてOK。

タイトルに書いた「心に持つナイフ」これは自分が常に持っている信念を表す言葉なんです。

どんなに自分がなにかに影響されたり、年を取って、なにかを始めたりするのが億劫になったり、自分の未来が暗くても、反骨心が削れるようなコトになっても、どんなことになろうが「心に持つナイフ」を離してはいけないと思っているんです。

要は牙みたいなもんです。牙と爪をもがれたトラはなんにも恐くない。毒と攻撃性がない蛇も恐くない。そしてそれはつまらない。

人間も同じ。どんなに人当たりを良くして、社交性を向上したとしても、絶対にそういう尖ったものを心にいつも持っていないと人はダメになると思う。一人の人間としての向上は無いと思います。

いつもはニコニコとやさしそうでも、やさしいだけではダメだと思う。その奥底にギラギラと光るナイフを心にいつももっている…こういう感覚や意識を自分はいつももっています。

その「心に持つナイフ」は負けん気や気丈さや勇猛さ、服従しない精神等様々な気持ちを生んでくれます。10人中9人がYesと言っているものでも自分がNOだと思ったらNOと力強く言える…そういう人間でありたい。それには「心に持つナイフ」が必要なのです。

どんなに偉い人でも、多数の意見でも、自分自身の弱気な心も、「心に持つナイフ」を持って無ければそれは飲み込まれてしまうでしょう。

自分が信じているもの。自分の信念。そういうものは時に曲げられないし、時には素直に他を認めて快諾しなければならない。

「心に持つナイフ」

自分はこの感覚を一生涯持ち続けたい。もし「心に持つナイフ」をぽとりと落としてしまったら、それは私の心臓を一差しにして、一人の人間としてダメになることでしょう。

自分はいつも持っている。「心に持つナイフ」を。ギラギラとした切れ味鋭いナイフを。それが自分を強くする。それが俺の信念だ。これを捨てる気はない。捨ててはいけない。

以上。

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