8月 03

最近ちょっと更新が滞って申し訳ない。

では本題

「琴線に触れる」という言葉があります。綺麗な言葉ですよね。しかもうまく言い表していますし。

意味は

「心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえていった語。「心の―に触れる言葉」

とあります…が

不愉快になる意で用いるのは誤用なんですが、自分はどっちにも使いたいんですよ。(自分が勝手にですけど)反対の意味にも。

つまりなにかの作品を見た、聞いた、触れた時に、感じるあの感覚です。

それが”良い””悪い”を理論やなんかでは無く心の奥底まさに琴線のような感覚で揺れる時。

琴線〜は元々はもちろん”良い”のみですが、”悪い”と思う時にも触れるんですよね。自分の場合。(そういうことにさせておいてください。)

なんとも言葉に表しづらいのですが、やはり一番しっくり来るのは”琴線”という言葉で、自分の場合、無意識に明確な理由や理論などは無視してはたらく感覚なんですよね。

例えばそれは
映画を見たとき、
CMを見たとき、
音楽を聴いたとき、
テレビ番組を見たとき、
芸術を見たとき、
デザインを見たとき、
人間を見たとき…

有りと有らゆる時に私の”琴線”は揺れる。それは”良い”方に触れるのか、”悪い”方に触れるかは、もはや無意識下の事としか言いようが無い。

今まで人生生きてきて、体験したり、見聞きしてきたこと全部が琴線の振れ方を決めているのかもしれない。そういう感覚ありませんか?多分”琴線”の感覚はそれこそ千差万別で、一人としてまったく同じということはないと思いますが、この感覚誰しもがもってる”第六感”みたいなもんじゃないかなぁと思っているんですよね。

自分の場合それを一番感じるのはCMなんですよね。このブログでもCMについての記事(最近少ないですが)も書いていますが、CMを見る度にパッと琴線が揺れます。良い方にも悪い方にも。

Webデザインやグラフィックデザインでもよく感じます。

こういう感覚はやっぱり自分にとって財産だと思う。この”琴線”の感覚があるからこそ、あらゆるものの傾向と対策が練れる。というか”良い”と思う部分を自分に取り入れ、”悪い”と思う部分を排除できる。

そうやって感性を磨く。そうすればさらに”琴線”の感覚が鋭くなる。

人生これの繰り返しですよね。

以上。

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7月 01

[Bob Burman, race car driver] (LOC)
No known copyright restrictions by The Library of Congress

先日免許更新に行ってきてね、改めて思うこと、今日は車についてちょっと書いてみたいと思う。みんなは車に乗る行為をどう捉えていますかね?

自分的には車の中というのは”恐い”ところという認識が強い。

(通勤で車を使う場合)殆ど毎日乗るわけですじゃないすか?一日を振り返って見ると一日の時間の中で唯一危険と隣り合っているのが車に乗っている時間なんですよね。

まず自分が事故を起こす可能性がある。人を轢くかもしれない。モノを壊すかもしれない。路面の凍結でスリップもするかもしれない。ローンの残っている車が廃車になるかもしれない。

自分がどんなに気をつけていても、向こうからぶつかってくる可能性だってある。

車って日常に溶け込んではいるが、よくよく考えてみると、便利な反面様々な危険や不幸を呼ぶ可能性があるものですよね。

しかも簡単に。

それこそ飲酒運転をしたりなんかしたら人生終わりですよ。

なので自分としては車の中というのは危険といつも隣合わせで危険な場所という意識が強いのです。

バイクつったら更にその何倍もリスクが増すでしょうから絶対乗りたくありませんね。

車も人生のリスクを減らしたいなら極力乗るのを控える事ですよね。

“車”を原因として不幸になった人も多いはず。

毎日当たり前に乗っている車ですが、そういった大きなリスクを負わなければ車は乗れないということを今しっかり頭に入れてほしいな..と。

普段の日常で一番気をつけるべき場所は車の中だ!..と。いうことを言いたかったわけです。

そういう意識を持つのが重要なんじゃないかなぁと思います。なめてるといつかボロが出ますよ。

ご用心。

以上。

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6月 16

“トラウマ”っていう言葉は実は正式な言い方じゃないらしいですね。

wikipediaによると「心的外傷」という言い方が正しいらしい。でも敢えて、日本で通ってる呼び名の”トラウマ”を使います。今日はその「トラウマ」について書いておこうと思う。

トラウマ持ってますか?自分は持っています。まぁ殆どの人間が大なり小なりあるとは思いますけどね。別に精神科とかに行くようなもんでは全然ありませんが、トラウマはいくつか持っています。

トラウマっていずれも大人になるまでぐらいに植え付けられるんですよね。私としては小学校高学年から高校生ぐらいまでですかね。植え付けられたトラウマというものはいつまでも消えません。忘れようとしてもいつまでも心に残り続けて、自分を苦しめます。

過去の記憶なんて覚えていたくてもどんどん忘れていってしまうのにトラウマだけは忘れようにも頭にこびりついて離れません。なぜでしょうかね。自分はそういう心的な関係の事は疎いというか全然しらないので、わかりませんが。自分の場合、他の人からしたら「なんてことないじゃん」と思うようなことかもしれませんね。

でも人間はトラウマを植え付けられるからこそ、人格形成がされて、一人前になっていくのかもしれない。と思う。そういう”トラウマが植え付けられる”というのは衝撃的な、自分の心を傷つける事象によって、ずっと心に残って、2度と同じ事を起こさないようにしろ!と脳が命令するための人質みたいなもんにしてるんじゃないかなぁと思うんですよね。

自分の人格形成には少なからず”トラウマ”が関与してるのは明らかですね。まぁ誰でもそうだとは思いますけどね。

トラウマが無い人間っているんでしょうか?いないとは思いますが、もしいたらその人は良い人ではないと思いますけどね。というか面白くとも何ともない人間な気がします。逆にトラウマがある人間は強いですよ。自分の経験上ですがね。

心のキズがあるからこそタフな精神力が生まれる。と思う。もちろん程度にもよるんでしょうけど。重度になると追い込まれて鬱になったり、自殺に追い込まれたり、治すのに長い治療やカウンセリングが必要だったりね。殆ど不治の病みたいなもんですよね。付ける薬が無いし。でもやっぱり心にキズがあるからこそ、人間は一まわりも二まわりも大きくなれるんだろうなと思っています。

トラウマよ。お前の事が大っ嫌いだが、お前のおかげで精神的に強くなれた。感謝はしないがお前を責めもしない。トラウマが消える日というのは来るのだろうか?消える日というのは自分がこの世からいなくなる時かもしれないな。

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